ご機嫌よう皆さん。
早速ですが、音痴な方は耳が悪いという説を知っていまして?
耳が悪いというのは、聴力が弱いという意味ではなくてよ。
わたくしもどこかで少し見ただけなのですけど、音痴な方は自分の歌声の音程が外れているのがわからないらしいですわ。
だから、自分では気持ちよく歌っているつもりでも、カラオケなどでは音程を大きく外している、ということが起きるらしいですの。
実際、わたくしの友人の中にもそういった方がいらしてよ。
なぜこんな話をするかって、こと文章においては、これと同じ現象が起きやすいのではないかと思ったからなの。
わたくしも文章へたくそお嬢様としてずっと苦しんでいるのだけど、自分の文章のどこが悪いのかって、人に指摘していただかないとなかなか気が付かないものですわね。
数をこなせば、という方はたくさんいらっしゃるのだけど、我流で数をこなしたところで文章が上達するのかと言われれば、わたくしはどうなのでしょうと思いますわ。
確かに継続して書いていれば、言葉がスラスラ出てくるとか、自分の書きたい場面を文章にするのが簡単になったような感じがして、主観的には上達したようには感じるでしょうけど、果たして質は向上しているのでしょうか?
Twitterを眺めている限りでは、「書き始めた方が文章が上手だった」あるいは「面白かった」とおっしゃる方は少なくないと思うのですけれど。
この点において、最初に言った音痴な方と状態は似ていると思いますわ。だって、自分では自分の文章の理解が難しいんですもの。
では、上手くなるためには何をしたらいいのかしら?
たくさん本を読んだり、好きな作家の文体を真似してみたり……というのが、一般的なものでしょうね。
文章の本には「好きな文体を真似る→おファッ!? 全然違うものが出来上がりましたわ!? →それが個性になります」なんて書かれてはいるのだけど、経験上、自分の積み上げてきた文体を崩すのはとても大変ですわね。
そういった面で、最初に自分の力で文章を書いてみた時点である程度「様になっている」というのは立派な才能だと思いますわ。
Twitterやピクシブなど、SNSに作品を投稿すると考えたとき、上手な時に何が反応をいただきやすいかと言われれば大抵は絵の方で、そう考えた時、頭をかきむしる思いをしてまで文章に取り組めるかと聞かれるとそこも難しいところですしね。
勿論ですが、絵が過大評価とか、文章をもっと読めとか文句を言うつもりはありません事よ。だって、絵を書く方は膨大な時間をかけて練習して、SNSにアップする一枚でもそれはもう(人によって差はあるでしょうが)果てしない努力の積み重ねの賜物だというのはわかりますもの。
文章で評価されないと嘆く方(わたくしも含めて)のどれくらいがそれに見合う努力をしているのか――というのは、まあアレですわね。
だからまあ、色々言ったのだけど、とどのつまり――――
文才のある方はうらやましいですわね(嫉妬)